絶版ラノベを漁誌する

絶版したラノベやそうでない本について書く

無作為抽出恋愛遊戯

『無作為抽出恋愛遊戯』(ガガガ文庫)作:水市恵 絵:九條宝珠

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主人公愛須蒔也は恋愛や友達、家族といった関係に「物事を上手く進めるためのツール」以上の価値を感じない少年である。家族は自身の生活環境を安定させるための道具に過ぎず、友達も単なる情報網に過ぎない。愛情や友情は彼には対岸の火事でしかない。

彼にとって、他人をコントロールする技術は人生を成功に導く秘訣である。そこで己の対人スキルを磨くために、あるゲームを考え出した。

蒔也が考案したゲームの概要は、以下の通りである。

1,乱数による無作為抽出で、陽華学院の生徒を男女一名ずつ選出。
2,選出された生徒同士が恋仲になるように、ふたりを誘導。
3,カップルが成立すればゲームクリアとなる。*1

赤の他人だろうが友達だろうが関係なく、彼らに縁だけを結び付ける。そこには一滴の愛情も存在しない。全ては自分の成長のために他人を無差別に恋仲にする。それが無作為抽出恋愛遊戯である。

 

この巻では(この巻しかないが)主に三組の男女が結ばれる。

  • 若手俳優王谷玲音と、その追っかけ山原雛子
  • 秀才平田進と、陸上部相馬爽月

そして

  • 主人公、愛須蒔也と、ヒロインの親友、小見里麦穂

蒔也は周りにバレない様にゲームを行っている。が、一人その存在に気づいた少女がいた。少女の名は浮島紅葉。しかし彼女は蒔也を止めるわけでも、また乗っかるわけでもなく、面白そうに傍観する(時にちょっかいを出す)だけだ。蒔也はそこに奇妙な脅威を覚える。

本作は蒔也と紅葉を中心に物語が進む。紅葉の良心と蒔也の思想の衝突。紅葉の人間らしさと蒔也の冷血さの交わりが本作の見どころの一つといえよう。

 

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  • ラノベ的道徳(利己的な主人公が、改心しない)

よくオタクは好きなアニソンを「これ全然アニソンっぽくないからw」とか言っておすすめしたり、重厚なラノベを「ラノベらしくないよ。だって考えさせられる内容だもん」みたいな誉め方をする(偏見)。

大抵そういうのはどう聞いてもアニソンだしいくら読んでもラノベなのだが、この『無作為抽出恋愛遊戯』は主人公の特徴の二つの点でラノベっぽくない小説であった。それは以下の点だ。

  1. 利己的な主人公が、改心しない。
  2. 一面的なキャラクター。

 

まずは一つ目から見ていく。

 紅葉は唇の端をわずかに上げ、共犯者の笑みになる。

「このゲーム、お見合いと決定的に違うのは、蒔也くんは本人たちのためを思ってやってるわけじゃないってところだよね。幸せなカップルになりますようになんて願う気持ちは、蒔也くんには微塵もない」

「……ええ、まあ」

 今さらのことを言われ、蒔也としては反応に困る。

 どうして本人たちのことを考えてやらなくてはならないのか。

 もちろん、他者の利益のために動くことで自分の利益にも繋がる場面が多数あることは知っているので、関係者の利害を意識しないわけではないが、自分に損も得もない場面ではどうでもいい。ゲームの結果、対象者が幸せになろうがなるまいが、蒔也の人生に影響はない。本人たちの利益は、各自で確保すべきだ。

 もっとも、内心そう思っていることを、蒔也はおくびにも出さない。蒔也の本質を見抜いているのは、紅葉しかいない。(p27~p28)

愛須蒔也はこういう人間だ。自分のことにしか関心がない。しかし利他が自己の利益に与することを理解しており、他者を助けることの大切さも認めている。逆に言えば、自己の利益と関係のない事柄には関心がない。

ただ利己的なキャラクターというのはよく見かける。『罪と罰』のルージンや『クリスマスキャロル』のスクルージライトノベルなら『超人高校生』一巻のノイツェランド商会のヤッコイなどがそんなキャラクターの例だろう*2

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ラノベにおいて利己的な「まず自分の利益が一番」系の悪役は、初めはその個の力で主人公達を苦しめるも、最後には主人公らが力を合わせて成敗することが多い。主人公とその仲間らの絆を目の当たりにして、「そうか、これが俺に足りなかったものか……」などと思いながら敗北するシーンが目に浮かぶ。

それが主人公側なら、壁にぶつかる中で、次第に自身の自己本位さを見つめ直していき、それを乗り越えるとともに仲間との愛に目覚めていくという物語が展開されることが多い。

 

つまり、多くのラノベにおいて「利己的」は「悪いこと」*4であり、「変わる」ことが求められるラノベ的な道徳では、自分の利益第一のキャラは他人の利益のことも考えられるように「成長」することが是とされているのだ。

 

しかし、本作の主人公はそこを外れている。以下は最初のゲーム。王谷玲音に接近させるために、山原雛子をアイドルファンのグループから絶交させた後、蒔也が彼女からその仲直りについて相談を受けた場面である。

「相談に乗るのが好きなんですよ、僕たち。我ながらお節介だなあと思うこともあるんですけど、困ってる人を放っとけないんです」

 蒔也は自分でも寒気がするほどの善人を演じている。努力の甲斐あって、他の生徒の相談に乗る蒔也の役割は校内に定着しつつある。定着すればするほど、ゲームに有利な立場が手に入る。

確かに蒔也は自分の成長第一で行動しているが、一方、その一環で人助けにも精を出している。ここに面白い差異がある。

先に述べたように、ラノベにおいて利己的人物は、利己的な動機から利己的な行動をする。その行動は主人公たちの障害になり、彼らはそれを乗り越える。結果、悪役なら破滅し、主人公側なら「成長」するのだ。そのどちらにせよ「仲間」の存在は必要不可欠となる。

だが蒔也は違う。利己的な動機から利他的な行動をしている。外から見れば、彼はしっかり他者のことを考え行動しているので、自分を破滅/成長させるキーである「仲間」は蒔也にアプローチできない。これでは破滅のしようも成長のしようもない。彼は人心が離れるような状況には決してしないし、また情に流されて最善策を捨てたりしない*5

自己中心的な思想が善人の皮に隠れることで、蒔也の物語は「冷血・薄情な主人公が、徐々にヒロインや仲間によって絆され、愛や友情に目覚める」というよくある成長譚を回避しているのだ。

 

 なので、蒔也には最後まで愛や友情が芽生えない。

 紅葉が見る限り、蒔也は他人を愛さないし、愛せない。

 今後いかようにも変化しうるが、今の時点では、蒔也の中に愛はない。

 紅葉が蒔也を観察対象にしているのは、ゲームの推移を見守りたいという欲求に加えて、彼の今後の変化に期待している部分が大きい。(p247)

 

「……蒔也くん、君には本当に、愛情ってものがないんだね」

「愛情、もし芽生えたらびっくりしますね、僕は」

 蒔也はぼんやりと余所見をして、自分の過去と未来に思いを馳せる。これまで、何かに愛情を抱いたことはあっただろうか。将来、どんな条件が整えば愛情が発生するのだろうか。(p282)

三つ目のゲーム。無作為に対象を選んだ結果、蒔也自身と紅葉の友人小見里麦穂が選ばれる。上のシーンは麦穂が紅葉に蒔也のことが好きかどうかを尋ねた場面。下は蒔也が無事に麦穂と恋仲になった後。紅葉に今回のゲームについて問い詰められ、ゲームは済んだので速やかに恋仲を解消(ヤリ捨てる)と断言した場面だ。

彼は物語を通して、全く自分の思想を変化させない。全く成長しないとも言えるかもしれない。しかし俺はあえて、「安易にヒロインに流されず、自分の正しいと信じる道を突き進んでいる」と表現したい。すでに彼は完成されているのだ。完成されてる彼に、血縁や異性からの評価などは意味を持たない。

だが完璧な人間は存在しない。本作のあとがきにはこう書いてある。

 そのお寺では縁結びの絵馬は他の絵馬と区別され、敷地内の違うところに奉られるようになっていたので、その一角は壮観でした。

 (略)、水市はふと思いました。

「頼まれてもいないのに、無作為に男女を選んで縁結びする神様がいたら、どうなるのだろう」

 この閃きのおかげで(閃きのせいで?)、水市の中にキャラクターが生まれました。

 神様ならぬ怪物的な精神で男女を結んでいく中三男子、愛須蒔也。

 その様子を茶化しながら見物する高一女子、浮島紅葉(p286~287)

つまり愛須蒔也は人間ではない、化け物なのだ。化け物ゆえに彼の完璧性は本物であれる。

 

主人公がすでに完成されていると弊害も出てくる。それが次のポイントだ。

 

  •  ギャップがない(一面的なキャラクター)

 どんな人間にも性格の裏表は存在する。ラノベのキャラクターだってそうだ。むしろ、ラノベのキャラクターは過剰なほどのギャップを持っている。例えば、

  • 強面の凛々しい先輩が、実はかわいいもの好きだった。
  • 清楚な同級生が、実は家ではズボラだった。
  • 人畜無害そうな優しい少年が、実は裏で滅茶苦茶人を殺していた。

など挙げればキリがない。無数に考え出せる。ツンデレ隠れオタク、清楚系ビッチ。

彼らの「~~だが、実は……」で表せる外面と内面の矛盾、つまりギャップは、読者の心を掴む非常にキャッチ―なものだ。またそのギャップによる葛藤や衝突などを題材に、物語を進めさせるイベントを作り出すこともできる。ラノベに限らず、意外な面を持つ人物は魅力的なものである。

 

しかし、蒔也はそんなギャップを持たない。彼には「~~だが、実は……」がない。それゆえ彼は一貫した行動原理でゲームを行うことができているのだが、裏表のないキャラクターであるために読者にとって魅力に乏しい存在になってしまっている。

『ベストセラー・ライトノベルしくみ』(飯田一史)によると、キャラクターの魅力は以下の三つの成分によって演出できるという。

1 属性の提示――登場時点~序盤において

2 多面性の提示――序盤~中盤において

3 時間経過に伴う変化\成長の開示――中盤~終盤において*6

愛須蒔也というキャラクターは、この理論で考えると、(2)と(3)が欠落しているといえる。彼の「冷血」属性は物語を通して提示されているが、すでに書いたように、彼は一面的であり、物語を通して思想を変化させることもない。

 

『無作為抽出恋愛遊戯』は、主人公蒔也のキャラクターを魅力的にする要素――人間らしい意外な一面や困難を乗り越えることによる性格の変化――を描かなかった。その結果、彼の「怪物的な精神」を表すことには成功したが、反面、他のラノベ作品と比べて「主人公に魅力のない」作品になってしまったのだ。

そして怪物性を描くためラノベの主人公の定石を外しているところに、冒頭の「ラノベっぽくないラノベ」という感想を覚えた。

 

 

  • 最後に

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今回はガガガ文庫の作品を紹介した。一昔前に「ガガガがやらねば誰がやる!」みたいなスローガン(?)があったが、個人的に、ガガガの一巻完結の作品は他レーベルの作品と比べてクセが強いのが多い気がする。この作品もそんなクセの強い作品の一つだ。

『妹さえいればいい』や『俺ガイル』のような輝くような青春もなければ、心を締め付けるような恋愛もない。ただ機械的に他人を恋仲していくという、およそ「ラノベ」っぽくない作品である。

しかし、面白かった。一気に読み進んでしまった。今回は主人公を中心に作品を見たが、本作の中身は当たり前だがそれだけではない。蒔也にくっつけさせられる三組の男女の人間模様や、蒔也が彼らをどのように結び付けていくのかなども見どころだ。

 

こんなところで本作の感想は終わりにしたい。これを書くのに、大体二週間ぐらい要してしまった。これ以上思いついたことをつらつら書いていくとマジで収拾がつかなくなりそうだ。自分は読むことは出来ても、何か書くことは不得意だということが思い知らされた。最後に蒔也のやりとりの中で一番心に残った言葉を引用したい。

「蒔也くんはどうなんだい。蒔也くんは自分のこと、好き? 嫌い? すごく気になる」

 蒔也は即答できなかったが、斜め上方に目をやり、数秒考えて答えを出した。

「今の自分に不満はありませんが、過去の未熟な自分は大嫌いです」

(略)

「今の自分も嫌いになれるくらいに、成長したいと思っています」(p153)

 俺も今の自分が嫌いになれるくらいに、文章を書けるようになりたいものだ。

 

ちなみに電子版ならある。

www.shogakukan.co.jp

 

*1:無作為抽出恋愛遊戯 | 小学館より

*2:アニメは二話くらいで見るのやめてしまった。原作小説は好き。

*3:アニメ『超人高校生たちは異世界でも余裕で生き抜くようです!』二話より

*4:利他的なキャラクターが「自分に正直に生きてもいいんだ」と気づいていく物語もあるが、それでもそのキャラは少し生き生きとした性格になるだけで、「自分だけが良ければいい」とまで利己的にはならないだろう。

*5:ただし、それはそれで面白い縛りプレイになるだろうが、とは言っている。

*6:飯田一史『ベストセラー・ライトノベルしくみ――キャラクター小説の生存戦略青土社、2012年、p71